在京キー局のアナウンサーとして活躍し、2019年現在はフリーアナウンサーとしてだけでなく、ファイナンシャルプランナーなどの資格で講演も行っている生島ヒロシさん。
某ダイエットプログラムでかなり痩せたこともありましたよね。
生島ヒロシさんの結婚した妻はどのような方なのか?
家族のことも含めて調べていこうと思います。
目次
生島ヒロシが結婚した妻(嫁)は一般人!
生島ヒロシさんは1950年、宮城県生まれ。
地元の高校から法政大学に入学しますが、大学紛争のためまともに学ぶことができなかったせいなのか、1971年にアメリカに渡ります。
植木屋などのアルバイトで生計を立てながら、カリフォルニアにある大学を卒業。
1976年に在京キー局のアナウンサーとして採用されます。
1989年には退社してフリーになりますが、生島ヒロシさんが結婚したのはおそらく局アナ時代だと思われます。
1984年には第一子である男の子が生まれますので、少なくとも1983年頃には結婚していたと考えられますね。
気になる結婚相手の方ですが、一般の方のようで、いろいろ調べてみても名前や出身など一切わかりませんでした。
生島ヒロシさんは愛妻家だといわれていますので、有名人の嫁としてあれこれ詮索されたりすることを避けるために、名前などを伏せているのかもしれませんね。
家事や育児に加えて、地域の民生委員となって活動することもあった生島ヒロシさんのお嫁さん。
生島ヒロシさんも精力的に動いているお嫁さんに感謝をしつつも、やっぱりカラダのことが心配のようです。
「奥さんは、何でも頑張り屋さん。
お料理もいつでも凝ったものを作ってくれるし、ぼくのことを思って、厳しいことも言ってくれます。
それに、地域の活動として民生委員だって全力投球。
あんまり頑張りすぎて、体を壊さないようにって、そこだけが心配ですね」
といったコメントを寄せて、お嫁さんのことを気づかっています。
また、生島ヒロシさん夫婦の絆の強さを象徴するエピソードとして、テレビ局を退社してフリーアナウンサーになった時の話があります。
「妻の言葉で印象的だったのは、ぼくがTBSを辞めてフリーになったとき。
収入が安定するかどうかわからないぼくに対して、“大丈夫、100万人敵がいても、私があなたを守る”と言ってくれたんです。
何よりの心の支えとなりました」
「あなたの決めたことについていく」という、ちょっと依存している感じで男性の意見を認める女性は多いと思います。
でも、「何かあった時はわたしがあなたを守る」という強い覚悟で男性について行く女性は少ないのではないでしょうか?
生島ヒロシさんも、お嫁さんの言葉に勇気づけられ、その後の活躍につながっていったのだと思います。
生島ヒロシの息子たちは俳優【画像あり】
生島ヒロシさんには1984年、1985年に生まれた男の子がいます。
お兄さんが「生島勇輝」さん、
弟さんが「生島翔」さんといいます。
生島勇樹さんは精悍な顔つきで、アクション俳優のような感じ、生島翔さんは優しい印象を与える顔立ちですね。
2019年現在、兄弟ふたりとも俳優などで芸能活動をしているそうです。
兄弟それぞれにテレビドラマや映画、舞台に出演していて、テレビドラマでは時々レギュラーにもなっているようです。
2011年の東日本大震災を受けて、堤幸彦さんが監督となって制作された番組では、兄弟で共演もしています。
息子(長男)は生島勇輝!ラップもやってるの?さんま御殿出演
生島ヒロシさんの長男の生島勇輝さんは、2018年にトーク番組「踊る!さんま御殿」の2世タレント特集の時に出演し、「かっこいい」と注目されました。
イギリスとアメリカに留学経験があり、ラップが特技だという生島勇輝さんは、お父さんの生島ヒロシさんがアナウンサーになってほしい思いとは裏腹に、「ラッパーになる」といって大ゲンカをしたことがあるそうです。
「踊る!さんま御殿」に出演しているときも、得意のラップが披露されたといわれています。
その時の出演で大きな笑いを取った生島勇輝さんは、番組内でのMVPを取りました。
ちなみに、ラッパーになることをあきらめた生島勇輝さんは、お父さんが勧めるアナウンサーの道を目指しますが、なぜかどこも不採用になってしまったそうです。
「生島ヒロシ」という偉大なアナウンサーの息子を採用することにテレビ局が尻込みでもしてしまったのでしょうか?
息子(次男)はダンサーの生島翔!ダンスの実力
2019年現在俳優として活躍している、生島ヒロシさんの次男の生島翔さん。
小さい頃から踊ることが好きで、中学校を卒業すると、アメリカの全寮制のダンススクールに留学。
ここでさらにダンスに魅了され、大学もダンスを専攻し、卒業後はアーティストとしてビザを取得し、いくつかのダンスカンパニーに所属したそうです。
2009年にはウィーンのダンサー奨学生として選ばれたり、ドイツのカッセル州立劇場にソリストとして契約するなど、ダンスの実力は折り紙つきのようです。
2010年に帰国してからは、お父さんが最高経営責任者を務める芸能事務所に所属して、ダンサー、振付師、そして俳優と3つの顔で活躍しています。
お兄さんの生島勇輝さんと違って、お父さんとのツーショットが多いのは、同じ事務所のタレントだからなのかもしれませんね。
息子が死去したという噂はデマ!死去したのは生島ヒロシの妹夫婦だった
ふたりとも芸能界で活動している生島ヒロシさんの息子さんですが、ある時「死去した」という噂が立ちました。
当然ながらその噂はデマなのですが、大切な家族を失ってしまったことには間違いがないようです。
生島ヒロシさんは宮城県気仙沼市出身。
2011年の東日本大震災で津波に襲われ、深刻な被害があった街です。
生島ヒロシさんの妹さんは、震災の時に気仙沼にいたそうです。
連絡を取りたくても、全く連絡が取れない状況に、生島ヒロシさんは胸がつぶれるような思いでいたといわれています。
無事でいてほしいという願いは届かず、行方不明だった生島ヒロシさんの妹さんは、2011年の9月にDNA鑑定で遺体が確認されました。
一緒にいたといわれる妹さんの旦那さんは、いまだ行方不明だそうです。
震災で大切な家族をふたりも失ってしまった生島ヒロシさんの悲しみは相当なものだったことでしょう。