在京キー局のアナウンサーとして活躍した後にフリーアナウンサーに転身。
主にバラエティ番組に出演している宮﨑宣子さん。
アナウンサーというよりはタレント向けのふるまいを見せる宮﨑宣子さんの結婚事情はどのようなものなのでしょうか?
調べていこうと思います。
目次
宮﨑宣子について
宮﨑宣子さんは1979年、宮崎県出身。
宮崎県の県立高校在学中に、木佐彩子さんや雨宮塔子さんらのアナウンサーにあこがれ、目指すようになったそうです。
推薦で早稲田大学に進みアナウンサー研究会に入ったり、専門学校のアナウンサーセミナーにも通っていたそうです。
ただ、宮﨑宣子さんの学生時代を知る人によると、自分からの勧めでやっとアナウンサーの学校に通いだしたというくらい、業界のことを知らなかったといわれています。
第一志望はお台場にある在京キー局だったそうですが、残念ながらそちらは落選。
2002年、汐留にある在京キー局のアナウンサーになるのです。
入社して3年ほどは担当番組がなく、天気予報やリポーターをコツコツと担当して来たそうです。
2005年より夕方に放映されていた情報番組「ラジかる!!」にレギュラーとして起用されると、その番組が「ラジかるッ」としてお昼前に移動していく時にも一緒に移動します。
この頃から宮﨑宣子さんはバラエティや情報番組を中心に活躍していくようになります。
宮﨑宣子はおバカキャラ!レギュラー番組を2回も遅刻している!
アナウンサーは、知識と教養を持ち合わせた人物がやる職業だと思っていたのですが、お台場のアナウンサーを第1志望にしていた宮﨑宣子さんは、逆に親しみのあるキャラクターで人気になったようです。
宮﨑宣子さんのことでよくいわれるのが「おバカキャラ」でしょう。
もともとは番組に出演するゲストに向けてクイズを出題するときに、忠臣蔵に登場する「吉良上野介」を「よしらうわのすけ」と読んだのが始まりなのだそうです。
そこから、番組の最後に「宮﨑宣子さんに向けて」クイズが出されるコーナーができて、とんちんかんな答えをする宮崎宣子さんが「おバカキャラ」として注目されるようになったのです。
ですが、こうしてキャラ立ちして人気になっていく一方で、一部の同僚からは「局アナのイメージを落としている」と白い目で見られるようになっていったそうです。
もうひとつ宮﨑宣子さんのことでいわれるのは「遅刻癖」です。
担当しているお昼前の番組「ラジかるっ」にも数回遅刻していて、2007年12月11日には、45分も遅れて出演したそうです。
同局によると、宮﨑宣子さんは放送10分前に局入りしたのですが、打ち合わせをしないまま生放送に参加するわけにはいかないとの判断で午前10時40分から登場したといわれています。
出演した時は髪もセットしておらず、いかにも寝坊というルックスで平身低頭。
番組の冒頭で「宮崎がまだ来ていません」と苦笑いで報告した司会の中山秀征さんからは「よく眠れた?」などと突っ込まれ「すみません。眠れました」と返していたそうです。
宮﨑宣子さんはもともと朝が苦手といわれていますし、ウィークデイの帯番組ですから大変なこともあったでしょうが、番組を遅刻するのはよほどの事情がないと許されない事でしょう。
宮﨑宣子は顎関節症で番組降板。2012年にはフリー転身!
壮絶な遅刻を経験し、だらしないところを見せつつも、2008年には東京マラソンでフルマラソンを完走するなど、意外と根性があるところを見せていた宮﨑宣子さん。
2009年に顎関節症を理由に担当していたすべての番組を降板し、半年ほど休養に入ります。
顎関節症は顎を普段使わないなどのために顎が痛くなったり、開かなくなったり、カコカコと音が鳴ったりする現象です。
日常生活に大きな支障があることはないものの、少なからず違和感はありますから、治療したくなるのは当然かもしれませんね。
2010年2月から徐々に仕事にも復帰していきますが、その年の9月には、「体調不良」を理由に4月から担当していた早朝の番組を降板し、翌年の3月まで休職してしまいます。
ただ、お昼前の番組でさえ遅刻をしていた宮﨑宣子さんを早朝の番組に起用するという制作サイドの考えは、ちょっと理解できませんね・・・
「絶対に遅刻してはけない!」などと、宮﨑宣子さんに少なからず心理的なプレッシャーがかかっていたのではないでしょうか。
2011年頃には夕方の番組を担当することが多くなってきましたが、2012年3月いっぱいで局を退社。
その年の5月には芸能事務所と契約してフリーアナウンサーとなります。
2019年現在、担当する番組は少ないですが、クイズ番組を中心にバラエティ番組にも積極的に出演し、自分の弟さんをはじめ結婚式の司会などもしているそうです。
ゴルフに非常に興味があり、宮﨑宣子さんのSNSではお仕事の様子と共にゴルフウェア姿の写真が多くアップされています。
宮﨑宣子は結婚していた?結婚相手の旦那はどんな人だったの?
宮﨑宣子さんは、局アナ時代の2011年のクリスマスイブに1年ほどの交際期間を経て結婚しました。
翌年の2012年の3月には退社が決まっていましたが、寿退社ということだったのでしょうか。
2012年の9月にハワイで挙式をして、10月に恵比寿にあるホテルで披露宴を行ったそうです。
結婚披露宴に先立ち取材が行われ、結婚相手であるレコード会社の社員さんのことが紹介されました。
「EXILEさん全員を足して割った感じ。
穏やかなEXILEさん。
顔が真っ黒くて、Vネックです」と明かし、似顔絵を披露したそうです。
そもそも、宮崎宣子さんの同僚アナウンサーを紹介する目的の食事会で知り合ったそうです。
第一印象は最悪で、見た目から「怖い人」だと思っていたといわれています。
ですが、プロポーズは宮﨑宣子さんからだったそうです。
「9月4日の自分の誕生日に籍を入れようと思う」という宮﨑宣子さんからの提案に「それはいい」と男性の方も同意したようです。
結局、その年の12月24日まで伸びてしまいましたが、当日改めて男性から、
「あすが人生最後だったらと考えたときに、一緒にいたいと思ったのが宣子でした。結婚してください」と告白されたといわれています。
男性としては、やっぱり自分からプロポーズしないと格好良くないですよね。
宮﨑宣子さんののろけをさんざん聞かされる披露宴を経て、夫婦は幸せになったと思われたのですが・・・
旦那とは2014年に離婚していた!ブログで離婚理由についても報告!「自己満足を満たす為の結婚だった」
2014年の9月7日、宮﨑宣子さんのブログにこのような記事が投稿されました。
皆さんご存知かと思いますが、この夏に離婚したことをご報告いたします。
二人で何度も話し合いをしましたが、お互いが幸せになる選択をしました。
この結婚は、私の自己満足な結婚だったかもしれません。
心配して下さり、励まして下さり、心から感謝しています。
ありがとうございます。
皆さんへのご報告が遅くなり申し訳ありませんでした。
これからも応援して頂けたら嬉しいです。
わずか2年という短い期間で、宮﨑宣子さんの結婚生活は終わってしまいました。
「自己満足の結婚」とあるように、宮﨑宣子さんの結婚観などを押しつけてしまったのでしょうか?
「結婚は夫婦仲良くいつも一緒にいるもの」などといった結婚に対する考えや「朝ご飯は和食でなければいけない」などといった夫婦間のルールは、日々の暮らしの中でじっくりと醸成されていくものでしょう。
夫婦それぞれの「こうでなければならない」という思いは、次第に角が取れお互いの共通認識になっていくものです。
ひょっとしたら、宮﨑宣子さんは「こうでなければいけない」という思いが強すぎて、現実とのギャップに耐えきれなかったのかもしれませんね。