元WBCの世界ミニマム級、WBAの世界ライトフライ級の二階級王者である井岡弘樹さん。
18歳の若さで世界の頂点にのぼりつめた井岡弘樹さんの結婚事情について調べていこうと思います。
なんでも奥さんの経歴が意外なのだそうですよ。
目次
井岡弘樹が結婚した嫁・井岡絵美は住職の娘で家系も立派
井岡弘樹さんは1969年、大阪府出身。
1998年に現役を引退、2002年にはお兄さんと共にボクシングジムを設立し、初代の会長になっています。
その翌年の2003年に元キャビンアテンダントの春日絵美さんと結婚します。
絵美さんの実家は大阪府吹田市にあるお寺で、お父さんはそこの住職を務めているそうです。
代々続くお寺を守ってきた家系なのかもしれませんね。
一方の井岡弘樹さんは、小説で話題になった村上水軍の家系で、お父さんの代まで漁師をしてきたといわれています。
世界チャンピオンになるくらい井岡弘樹さんの腕っぷしが強いのは、「海賊」といわれた人たちの血を引いているからなのでしょうか。
嫁・井岡絵美との結婚までの馴れ初めや結婚式について
代々の漁師の家系とお寺の娘さんというカップルである井岡弘樹さんと絵美さんは、どうやって知りあい、結婚することになったのでしょうか?
そもそもの馴れ初めは友人の紹介で知り合ったのだといわれています。
元世界チャンピオンと元キャビンアテンダント、絵に描いた素敵なカップルですよね。
そして、2003年に結婚するのです。
結婚披露宴は帝国ホテルでも一番広い「孔雀の間」で、7000人ともいわれている参列者のなか盛大に行われたそうです。
薬師寺保栄さんらボクシングの世界チャンピオンをはじめ、オリンピックのメダリストやプロスポーツ選手、芸能人らもたくさん参列して、井岡弘樹さんと絵美さんの新たな門出を祝いました。
幸せなスタートを切った井岡弘樹さんと絵美さんですが、あることがきっかけで離婚の危機を迎えることになるのです。
井岡弘樹と嫁・井岡絵美の間には息子が一人誕生!不妊治療の末の待望の子供
井岡弘樹さんと絵美さん夫妻に2006年、待望のお子さんが生まれます。
お子さんは男の子で、名前を輝樹(るき)君というそうです。
実は、輝樹君が生まれるまでに井岡弘樹さんと絵美さんとの間には壮絶な戦いがあったといわれています。
結婚してまもなくお子さんを授かったのですが、残念ながら流れてしまったそうです。
その後も自然な妊娠を試みるのですが、なかなかお子さんを授かることができませんでした。
どちらかに何か問題があるのではないかと検査を提案するけれども、井岡弘樹さんの方があまり検査に積極的でなかったようで、時にケンカになったこともあったそうです。
夫婦の仲がどことなく険悪になっていく中、ある人からの勧めで検査を受けることになった井岡弘樹さん。
検査の結果、妊娠に至らなかった原因として考えられたのが、井岡弘樹さんのボクサー時代のストイックな生活だったそうです。
子供が欲しくてたまらなかったのに、できない原因が自分にあったと知らされた井岡弘樹さん。
そのショックは奥さんの絵美さんが「声をかけられなかった」くらいだったといわれています。
そのショックを乗り越え、妊活を始めた井岡弘樹さんと絵美さんは、体外受精でお子さんを妊娠することができ、無事に輝樹君が生まれたのです。
待ちに待った赤ちゃんの誕生に立ち会った井岡弘樹さんは、「生まれてきた瞬間は、うれしくて感動して、涙がこぼれました」と後に語っています。
輝樹君の誕生で夫婦の危機も乗り越えることができましたし、これからもっと幸せな家族になっていくことでしょうね。
井岡弘樹は現在「井岡弘樹ジム」を設立!よしもとのタレントとしても活躍!
2002年にお兄さんと共にボクシングジムを設立した井岡弘樹さん。
会長をお兄さんに譲った後、新たに「井岡弘樹ボクシングジム」を設立して、未来の世界チャンピオンを育てる一方で、ボクシングをベースにしたダイエットプログラム「ボクシエット」も教えているそうです。
井岡弘樹さんのジムに通っている人の最高年代はなんと70代だそうで、ジム生の皆さんは健康的ですがすがしい汗をかいているようです。
ボクシエットの効果も絶大で、50㎏以上の減量に成功した女性もいるそうです。
また、井岡弘樹さんはよしもとクリエイティブエージェンシーとマネジメント契約を結んでいて、タレントとしても活動しています。
スポーツにまつわる番組にゲストとして出演したり、地方ローカルの番組ではレポーターを務めていたりしているそうです。
講演を依頼されることもあり、18歳で世界チャンピオンになったことやその後3階級制覇を目指したときのモチベーションの作り方。
引退してからの活動や、甥である井岡一翔さんをチャンピオンへと導いたことなど、いろいろなエピソードを交えて、楽しい話を繰り広げているようです。
井岡弘樹は2階級チャンピオン!デビュー前から才能があった?
現在はボクシングジムの会長として後進の育成をしている井岡弘樹さん。
ボクシングを始めたきっかけや、引退までの経緯をすごく簡単にお伝えします。
井岡弘樹さんは小さいときは野球少年でしたが、ボクシング好きなお父さんの影響で、中学2年生の時にあこがれていた赤井英和さんと同じボクシングジムにお兄さんと入門します。
ボクシングジムの会長に才能を見出された井岡弘樹さんには、多くの日本人世界チャンピオンを育て上げた名トレーナーがつき、寝食を共にして育てあげられていきました。
そして、18歳9か月10日という若さでWBCの世界ミニマム級のチャンピオンになります。
さらに、5年後の1991年には1階級上のライトフライ級でも世界チャンピオンになり、2階級制覇を成し遂げるのです。
1993年からはさらに階級を上げて3階級制覇を目指していましたが、残念ながらその夢は果たせませんでした。
ボクシングに身をささげてきた井岡弘樹さんも、1998年には現役を引退。
「世界タイトルマッチ以外の試合で負けたら引退する」と以前から話をしていたそうで、その言葉通りの引退となりました。
世界を獲った逸材だからこそ、ノンタイトルで負けることは自身の能力が世界を獲るものではなくなったと判断するものだったのでしょうね。