1970年代から1990年代前半までは漫画家として活躍し、その後は小説やボーイズラブ漫画家となったあさぎり夕さん。
執筆歴40年以上にもなるあさぎり夕さんの結婚事情はどのようなものなのでしょうか?
調べていこうと思います。
2018年、惜しまれつつ・・・
目次
漫画家・あさぎり夕の結婚事情については情報なし
あさぎり夕さんは1956年、東京都出身。
2018年現在、還暦を過ぎていました。
2001年くらいから公式サイトを運営し、自身の仕事のアーカイブや 近況を伝えてくれていました。
近況は仕事に関することが多いのですが、時折高齢になった ご両親の様子を伝えることもあり、家族を大切にしている感じがしました。
家族を大切にしていると思われるあさぎり夕さんなのですが、 「旦那」や「子供」に関する話題が一切入ってきません。
さらに、「あさぎり夕 結婚」や「あさぎり夕 旦那」という言葉で 検索してみても、あさぎり夕さんの結婚事情を明確に紹介しているものはありませんでした。
プライベートと仕事を分けているというよりは、結婚をしていないという方が、可能性としては高そうです。
漫画や小説の締め切りに追われ執筆に没頭してしまうと、ほかの人の面倒を見る暇がなさそうですから、結婚は難しいかもしれませんね。
漫画家・あさぎり夕の顔画像は?
作品が評価さえすればよいのか、 巷の作家さんや漫画家さんって顔出ししない印象があるものです。
あさぎり夕さんも その例にもれず、2018年現在の写真などは出回っていないようです。
今回見つかったのは、 若い頃に作成された「アトリエ訪問」の映像から切り取られたあさぎり夕さんの姿です。
少女漫画家というと、何となく女子力の高い、ふわふわキャピキャピしたイメージがあったのですが、 若い頃のあさぎり夕さんの姿を見ると、非常に地味で素朴な、漫画や小説を読むのがとても好きな女性、 ぶっちゃけ「オタク」のようです。
修験者のように、ひたむきに自分の作品と締め切りに向き合い、 化粧や女性らしさに目を向ける余裕すらないほどにストイックだったのかと思われます。
漫画家・あさぎり夕の出身高校はどこなの?
ストイックに漫画と向き合い、見事漫画家として生活できるようになったあさぎり夕さん。
どのような学生時代を過ごしてきたのかが非常に気になります。
あさぎり夕さんの経歴を見ていくと、 小学生の頃から漫画家になることを目指していたことがわかります。
ただ、新聞記者を務めていた お父さんが非常に厳しい人で、 漫画雑誌を買うことを月に1冊しか認めていなかったそうです。
それでも、友人の家やピアノ教室に置かれている漫画本を読んで、漫画家への思いを高めていったといわれています。
中学生になると漫画雑誌への投稿をはじめ、正式に送ったものでも20作品を超えるそうです。
高校や大学に進学し、その時にも漫画を描き続けていたことはわかっていますが、 「女子高校」に通っていた以外、あさぎり夕さんが どこの高校や大学に通っていたのかは詳しくわかっていません。
学生時代に、 当時の少女漫画誌で人気のジャンルを描きつつも、小説家になってから脚光を浴びた ボーイズラブ系の作品も描いていたらしく、 ある作品は高校の授業中に仕上げたという逸話が残っています。
授業中に漫画なんて不謹慎な感じがしますが、当時あさぎり夕さんの通っていた女子高校では、そういったことに目くじらを立てて先生に告げ口するような厳しいクラスメイトもいなかったみたいです。
ちなみに、 この頃描き上げたボーイズラブ系の作品は、編集者から「こういうのは売れないよ」といわれていたそうです。
あさぎり夕が小説家になったのはなんで?
1976年に新人漫画賞を受賞した作品でプロとしてデビューし、「3年続けばいい」と本人が言っていたものの、 1982年から1993年までほぼ休むことなく「なかよし」誌上で連載を続けていたあさぎり夕さん。
途中、 1987年には「なかよし」を発行している出版社で漫画賞を受賞することもできました。
1990年代になると、「なかよし」での連載を進めつつも、 そのひとつ上の世代を狙った作品や少年漫画を世に送り出していきました。
さらには、 出版社を変えて、ボーイズラブ小説を隔月ペースで発表していくようになります。
少女漫画家として人気だったあさぎり夕さんが、 上の世代を狙った作品を描きだしたり、ボーイズラブの小説を書くようになった背景はふたつあるといわれています。
ひとつは、 「 もともとそういったジャンルが好きだった」こと。
あさぎり夕さんが「なかよし」で発表していた作品は、どちらかというと「売るため」の作品で、「自分が本当に描きたい」作品とは違っていたようです。
編集者から ボツをもらっても、継続してボーイズラブ系の作品を描きためていたという話もあります。
もうひとつは 「目が悪くなった」こと。
ある時期を機に、 目が段々と見えづらくなって、漫画を描いていくのが大変になっていったそうです。
小説を書き始めた当初、挿絵も描いていたのですが、 徐々に外部の方に依頼するようになっていきました。
目が悪くなったのは非常に残念ですが、自分の描きたい世界をずっと描き続けてきたことで、ボーイズラブ作家としての地位を確立できたことは非常に素晴らしいですよね。
漫画家・あさぎり夕は現在、死去していた!死因は「重い肺炎」
2018年11月、あさぎり夕さんの公式HPで 大変ショッキングな報告がされました。
現在も公式HPを検索すると、一番最初に出てくるのはこちらの文章です。
あさぎり夕は平成30年10月27日永眠いたしました。
重い肺炎からの回復がかなわず62年余の生涯を閉じました。
昭和51年の漫画家デビュー以来42年にわたりあさぎり作品を愛し支えてくださった皆さんに深く感謝いたします。
ありがとうございました。
そこには、あさぎり夕さんが2018年10月27日に重い肺炎によって60年以上にもわたる生涯を終えたことと、これまであさぎり夕さんの作品を愛してくれたファンへの感謝の言葉が書かれています。
人生の中で多くの漫画や小説に触れることがありますが、 あさぎり夕さんの漫画や小説が、多くの人々に愛され。人生に少なからず影響を与えてきたことは間違いないでしょう。
また、 あさぎり夕さんはいなくなったとしても、作品はいつまでも残ります。
これからもずっと、多くの人にあさぎり夕さんの作品が愛されていくことを願います。